盛岡市内の中ノ橋通及びその界隈には藩政時代からの旧い町並みと、明治時代からの洋風で重厚な建築物が点在しており、北東北の商業の中心地としての景観を特色付けています。また建物だけではなく旧町名に表される職人たちが代々住まう街でもあります。その中ノ橋通の中に、昔は屋根葺き職人が住み、今でも昔からの市民の間ではその旧町名で通用する「葺手町」とよばれる通りがあります。葺手町は、今では全国でも急速に珍しくなりつつある、普通の「商店街」です。長さ140m足らずの中に寺院、魚屋、八百屋、そば屋、喫茶店、定食屋、ラーメン屋、カレー屋、メガネ屋、クリーニング店、内科、仏具・提灯屋、食器屋、皮膚科、歯医者、醤油屋、居酒屋、ワインショップなどがたちならんでいます。町名が新しくなる前は隣接の肴町、紺屋町とともに市内外から沢山の人が集まるとても賑やかな街であったといいます。節句や夏には定例のお祭りもあり街の子供たちの歓声があがるとても活気のある街でした。今でも毎週末には市が立ちます。そんな葺手町の歴史や活動などを紹介していきたいと思います。